スティーブ・ジョブズ

  先日、媚山マスターよりLINE。 http://www.youtube.com/watch?v=o8upqqn6FQo 最初に驚いたのは、マスターからYou

近未来

懐かしさを感じながら、古い映画を。 公開は1985年。 パートⅡが1989年。 冒頭より。 日本もバブル期。 もう35年も前になるんですね。 観てると時代が面白い。 展開も早く、いい意味でバカらしくて面白い。 タイムマシーンである、「デロリアン」。 パートⅡでは空を飛ぶ。 ふと気づく…………。 時代は2015年😳 今は、もう過去。 研究は進めてるみたいですが、出遅れてますね😅 近い未来、実現するのでしょうか。      

ピンクシボレー

先日の「ベリーニ」、「ハリーズ・バー」の話から。 以下、また福西先生の本より。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 イタリアでは、このヴェネツィアの「ハリーズ・バー」から20年ほど遅れて、1953年、フィレンツェにも「ハリーズ・バー」が生まれた。オープンにあたっては、やはりパリの「ハリーズ・バー」に応詔をとったという。 このフィレンツェの店と、ヴェネツィアの店のあいだに、経営上の横のつながりはない。それどころか、二軒の「ハリーズ・バー」は、お互いにライバル意識が強い。 それは、フィレンツェの店のオリジナル・カクテルが、「ティツィアーノ」と名付けられていることがうかがい知ることができる。レシピは、赤いグレープ・ジュースを、イタリア産の発泡酒スプマンテで割る、というかたち。ヴェネツィアの店が、イタリア北部特産の桃と、同じく北部特産のプロセッコという発泡酒を材料に使うなら、こちらはキャンティ・ワインの本場の意地を見せ、ぶどうのジュースで立ち向かおう。発泡酒ワインも、イタリアを代表するスプマンテでいこう。ネーミングのほうも、むこうが画家名でくるなら、こちらも画家名で応戦しよう。そんな魂胆が見え見えだ。 ティツィアーノとは、ジョバンニ・ベリーニの弟子として育った画家ヴェチェッリ・ティツィアーノのこと。その名を付けたティツィアーノというカクテル、残念ながら、親方名を冠したベリーニほどは人気がない。 ヴェネツィアのハリーズ・バーに行って、このティツィアーノを注文すると、「ああ、ベリーニのグレープ版ですね」と、ニヤリとしながらつくって出してくれる。そのニヤリのうらには、今のひと言で軽くいなしたから、まァつくって出そうか、いう姿勢のぞいて見える気がする。 フィレンツェのハリーズ・バーでは、「ティツィアーノ」のバリエーションとして、さらに「レオナルド」というオリジナル・カクテルも店のメニューに加えた。 これはいちごが材料。熟したいちごをブレンダーでピューレにし、それにスプマンテを加え、混ぜる、というもの。 ヴェネツィア生まれの「ベリーニ」のバリエーションともいえる。カクテル名のレオナルドは、ご当地トスカナ州出身のレオナルド・ダ・ヴィンチにちなんだもの。 フィレンツェで、この「レオナルド」の味を知った客が、ヴェネツィアのハリーズ・バーでこれを注文すると、バーは「ベリーニ」が売りだから、あまりおもしろくはない。でも、客の前で不快感を表情に出せないから、そこは腹でグッと押さえて、「当店では、レオナルドではなく、ロッシーニという名でお出ししていますが、それでよろしいですか?」とお伺いを立てる。ロッシーニは、ヴェネツィアから近いマルケ州ペザーロ町出身のオペラ作曲家。フィレンツェ生まれカクテル「レオナルド」を、ヴェネツィア寄りの地出身の「ロッシーニ」に名称変更をしてしまう。 『読むカクテル百科』

ハリーズ・バー

ジュゼッペ・チプリアーニは、1900年に、北イタリアのヴェローナで生まれた。若い頃からウエイターの仕事に就き、各地のホテル、カフェで働いたのち、1927年、ヴェネツィアのホテル・エウローパ・ブリターニャのバーテンダーになる。 1930年、そのホテルのバーに、今朝のホテルをチェック・アウトしたばかりの客が、打ちひしがれた様子で戻ってきた。彼は、アメリカの百万長者の息子で、まだ大学生。名前はハリー・ピカリング。たいへんなアルコール依存症で、今回の旅はその症状を癒やすため、伯母と執事で禁酒旅行している途中だった。 ハリー・ピカリングの禁酒症状もピークを迎え、どうしてもカクテルを一杯やりたくなったので、連れの伯母の目を盗んで脱走し、このバーに戻ってきたのだという。 彼は、チプリアーニのつくったドライ・マティーニを飲みながら、「折り入って頼みがあるんだけど……」と、言いづらそうに話し出した。金銭は、伯母たちが握っていて、彼は無一文だ。そして、こんな非人間的な禁酒旅行を強いられている。もう我慢ができないから、これからアメリカに一人で帰国する。ついては、このカクテル代とアメリカへの帰国旅費分として、一万リラ(アメリカドルで5000ドル)貸してくれないか? 30歳のジュゼッペ・チプリアーニにとってそれは大金だったが、ハリー・ピカリングの苦悩と懇願の表情に何か心動かされるものがあり、妻の諒承を得て、ジュゼッペはハリーに一万リラを渡した。 アメリカに戻ったハリーからは、しばらく便りがなかったが、翌年のある日、ジュゼッペのバーにハリーが突然訪れてきて、一万リラを返した。「どうも、ほんとうにありがとうございました。心からの感謝のしるしとして、こちらに四万リラを用意しました。あなたと私でバーを開きましょう。ハリーズ・バーというバーを」 ジュゼッペは、人生何が僥倖をもたらすかわからない、と感じたに違いない。ありがたく好意を受け、水上バス停留所前の倉庫を買いとり、そこにハリーとのコラボレーションで「ハリーズ・バー」をオープンした。 「読むカクテル百科」

ベリーニ

ベリーニとは、ピーチ・ピューレのスパークリング・ワイン割り、といった構造のカクテル。イタリアのヴェネツィアの「ハリーズ・バー」で生まれた。 〜〜〜〜中略〜〜〜〜〜 ヴェネツィアのサン・マルコ広場のすぐ裏手、水上バス(ヴァポレット)停留所前に、高級レストラン・バー「ハリーズ・バー」がある。1931年5月13日、それまでホテルのバーテンダーだったジュゼッペ・チプリアーニが、ある知人と協力して興した店だ。ベリーニというカクテルは、そのジュゼッペ自身が、開店してまもなく考え付いた作品。北イタリア特産の白桃の稔る秋の季節に、熟した白桃をピューレ状にし、それにヴェネト州の北で生まれるプロセッコというイタリアン・スパークリング・ワインを加え、混ぜる。 〜〜〜〜〜中略〜〜〜〜〜 ジュゼッペ・チプリアーニは、ヴェネツィア派絵画の創始者として15世紀後半に活躍したジョバンニ・ベリーニの絵が大好きだった。1948年、ヴェネツィアでそのベリーニ展が開かれ、敬愛しているベリーニの絵に接したのを記念して、彼自身のカクテルを「ベリーニ」と名付け、正式に店のメニューに加えることにした。 「読むカクテル百科」 

BARふっこう復袋

お世話になってる小島屋さんが、Barを助けようと考えてくださった商品のご案内です。 ありがたい話です。 私も商品開発に際し、少しだけ相談受けました。 興味ある方は、ご協力お願い致します。 ◆5000円袋 https://item.rakuten.co.jp/kojima-ya/10003330/ ◆10000円袋 https://item.rakuten.co.jp/kojima-ya/10003331/ 流れについて ◆ 流れについて https://www.rakuten.ne.jp/gold/kojima-ya/img/bar/shop.html  

融通無碍

素直な心というものは、融通無碍(ゆうづうむげ)の働きのある心であるともいえると思います。すなわち、物事に対して臨機応変、自由自在にとりくむことのできる心ではないかと思うのです。したがって、素直な心が働くならば、いつどのような物事に出くわそうとも、必要以上におどろきあわてることなく、また窮してゆきづまることもなく、つねに正々堂々と物事に対処し、そこによりよき成果を生み出していくことができるのではないでしょうか。 それはいってみれば、一つのことにとらわれたり、固定してしまうというようなことがなくなるからでありましょう。つまり、極端にいえば、困っても困らない、一見できないようなことでもできるというように、まことに自由自在な行動、姿というものがそこに生まれてくるからではないかと思うのです。 『素直な心になるために』

手洗い

買い物に行くと、今度はハンドソープがない! また買占めだなと、、、、。 自宅での手洗いどうしようかと焦りましたが、、、。 私の自宅には、石鹸が売るほどあるのでした。 全部、彫ってますが🤗 また、増え続けてます(笑)

アイリッシュコーヒー誕生物語

「アイリッシュ・コーヒー」は、第二次世界大戦が終わって間もない1940年代後半に、アイルランドで生まれた。 生まれた場所は、アイルランド西部のシャノン空港。考案者の名前は、空港のレストラン・バーのチーフ・バーテンダー、ジョー・シェリダン。 当時、ヨーロッパの主要都市と、アメリカ東部のあいだに、民間航空機が飛び交うようになり始めていた。 そして、このアトランティック航空の利用客が、次第に増加の傾向を見せていた。しかし、当時の航空機は航空距離が短く、ロンドンやパリから、ボストンやニューヨーク目指して、ダイレクトにひとっ飛びという具合にはいかなかった。 まず、ヨーロッパ最西のアイルランド島シャノン空港に立ち寄り、そこで給油をしてから、やおらアメリカ目指して飛び立つ。そして、カナダ東端のニューファウンランド島ガンダー空港に着陸。そこで再給油してから、やっとアメリカ東海岸の都市に辿り着く、といった状況だった。 最初の給油地であるシャノン空港の滑走路は、大西洋に注ぐシャノン川の中洲にあった。給油のあいだ、乗客は飛行機から降ろされる。そして、ボートで川を渡り、空港待合室で時間を過ごさねばならなかった。 冬の川の中洲は、風と寒さが厳しい。空港待合室に入るまでに、からだは冷え切ってしまう。ある人は、トイレに駆け込んで小用を足す。ある人はバーに駆け込んで、ホット・コーヒーや酒を注文する。なかには、コーヒーにウイスキーを注文して、自分で混ぜ、からだを芯から温めようとする人も少なくない。飛行機が給油なら、乗客も給油、というわけだ。 そうした光景に接していたジョー・シェリダンは、ウイスキー入りコーヒーを同空港待合室の売り物にしようと考え